成功したけりゃ、1日1冊本を読め
社会人になると、本を読めと言われることは多いのではないでしょうか。
特にアクティブな活動をしていると、また独立や起業などを夢見ている人は、そういった言葉を聞くことは多いはずです。
しかし一方で、「本は読まなくても良い」という成功者たちもいます。
自己啓発を読んでいる人は、数年後も自己啓発本を読んで実際にそれが役に立っていないという見方をされることもあります。
また、Amazonで過去に〇〇入門という本を購入した人に向けて、〇〇超入門という別の本の広告を打ったところ、多くの人が購入したというデータもあるようです。
こういった矛盾はなぜ起こるのか
果たしてどちらが正解でどちらを信じればよいのか
今回は「物事の本質を理解する」というテーマについて考えていきます。現在こういった矛盾に直面している人は、読みながら自分の考えと照らし合わせていくと、より楽しめるはずです。
「本を読む」についての考察
小学生の頃、図書室に入り浸っている子がいました。
友達が少ないという見方もできますが、自分はそういった子に対して「勉強熱心」だという印象が強かったです。
個人的な差はもちろんありましたが、その多くの子がいつもテストでは成績上位に位置していました。
しかし、本を読むという行為自体は同じですが、「本を読め」と言われて成功したいがために読書に励んでいる大学生や社会人には、決定的に自分が見てきた小学生たちと違いがあるように感じます。
それは、本を読む目的が本を読むこと自体にあるという本質のズレということです。
自分も人に相談を受けた時は「本を読む習慣を付けたほうが良い」と返すことが多いです。
しかしその本質的な理由は知識を蓄えるため、刺激を受けるためという目的があるからです。
より多くの本を読んだからと言っても、それをただの文字列として認識をしてしまっていれば、それには全く意味がなく、むしろそういった場合であれば「読まないほうが良い」と言えます。
それでは、本の読み方(読まない)についてを以下の3項目に分けて考えていきましょう。
徹底的に読む
手当たり次第読む
全く読まない
徹底的に読む
今回これは1冊を徹底的に読み込むということではなく、1つのジャンルやテーマに絞って、それを徹底的に追求していくということです。
例えば、あなたがマーケティングについて学びたいとしましょう。であれば自己啓発や小説などには全く触れず、マーケティングについて書かれた本だけをとにかく読み込んでいきます。
専門的に情報を得ていく場合は、この方法が一番効率的且つ実践に役立つと言えるでしょう。
マーケティングといっても様々です。そこから自分の求めているカテゴリが更に細分化されていれば、そこに焦点を当てて読んでいくほうがより良い結果が期待できるはずです。
これは、本を読むという行為を「学ぶ」という目的に焦点を当てることでより効果的且つ理にかなっている方法だと言えます。
しかし、これにはある程度答えが出ているものに対して取り組むからこそ効果があるのです。
例えば、自己啓発などといった「自分が成功したい」というような答えが鮮明でないものに対してこの方法で挑むと、最初に述べた様に「一生自己啓発を読み続けて成功しない人」となってしまいかねません。
また、自己啓発本については書き手によって考え方や物事の捉え方が様々で、そこから自分に適している方法や、自分がやりたいことにある程度マッチしている内容を探り出さなければいけません。
そのため、読んでいく内に「これだ!」と思えるものがあれば儲けものですが、多くの人がそうなっても「ただ読み続けていく」という明らかに無駄な努力を続けてしまうのです。
この状態こそが「本を読まないほうが良い」と言われる所以です。
読むことで自分が成長していると錯覚してしまうぐらいであれば、最初から読まずに「行動をすること」に労力を割いた方が良いのです。
手当り次第読む
興味のあることだけではなく、興味のない本も手当たり次第読むということは、予想していない刺激が得られることがあります。
自分も基本的にはこの姿勢で本を読むことがほとんどです。
先ほどの「徹底的に読む」と対極にあるとも言えるこの読み方は、専門的知識を得るためには理にかなっていません。なぜなら、求める答えが決まっているのであれば、その最短ルートを行くほうがほぼ間違いなく理想とされる結果が返ってくるからです。
しかし、回答が見えていないものに挑む場合は、この方法がベストだと言えます。多くの情報に意識的に触れることで、自分が今まで知らなかったことや可能性が見えてきて、そこから目指すべき方向性や自分のルールが定まっていきやすくなります。
また、別方向から得た知識が自らが専門としている内容に新しい息吹を吹き込んでくれることで、よりユニークな発想が生まれることもあるでしょう。
芸術的な感性を養いたい人であれば、これは理にかなっているのではないでしょうか。
しかし、手当り次第読むことだけに目的がいってしまい、興味がないのに読み続けてしまうことは、やはり逆効果です。
「興味を惹かれるかも知れないから読む」のであって、興味がないものを無理に読むわけでは有りません。またそれは、興味があるものを読んではいけないということでもないのです。
全く読まない
「読む」ということについて2つの考察をしましたが、それも踏まえて「読まない」ということについて考えてみましょう。
本を読むことに対して、人それぞれ目的があります。しかし、それ自体が目的となってしまっている人にとっては本を読む意味がまったく有りません。
そして、多くの人が「それが目的」になってしまっています。
だからこそ「本は読まないほうが良い」という理論は成立するわけで、更に言えばより大衆向けの意見だと言えるのです。
また、本を読まずとも情報や刺激を得る方法はあります。
映画を見ることや音楽を聞くことも立派な刺激になりますし、情報を仕入れたいということであれば、ニュースや新聞、または人と話したりSNSでの交流を深めて行くほうがより高い効果が得られるかも知れません。
問題は、本を読むことの代わりになることは多くあり、そしてそれ以上に効果が高いものも多いということです。
だからこそ、無理に本を読むぐらいであれば、全く読まないという姿勢を貫き、そのための時間を行動や別の取り組みへ向けておくほうが良いのです。
質>時間>お金
前項で触れたように、本を読むこと自体に意味はなく、そこから何を得るか、そしてその結果どうなるのかということに意味があります。
しかし人間の満足度や達成感にはリスクに対するズレがあるため、本質を理解できない段階で達成感だけを受け取ってしまい、成功しないのに自己啓発本を読み続けるといったような矛盾が発生するのです。
人間はお金を払うことで、一定の満足感が得られます。それは金銭という自分にとって有限なモノを削ることによって、それ相応の対価を受けられるという勘違いから起こります。
確かに、無料セミナーに数十回通い続けるよりも、1回の有料セミナーに参加した方が良いと言われることはあります。しかしそれは、金銭的価値以上に「そこに質が伴っている」からなのです。
では、本の「質」とは何でしょうか?
多くの人が「良い本」か「悪い本」かで判断してしまいます。もちろんその部分の質はかなり重要ですが、実は「読み手」であるあなたにも質が存在しているのです。
質の良い本を読むあなたが、それに対して全く興味がなく「つまらない、早く読み終えたい」と感じてしまっていれば、それは「本を読む」というトータルで見たときに質の「低い本読み」になります。
しかし、本の質がそこそこのレベルだったとしても、読み手であるあなたが興味を惹かれて且つ刺激を得られるような「質の高い読み手」になっていれば「質の高い本読み」が実現します。
そして、読み手の質は支払う金額が影響をもたらしてくれるということも事実です。
10,000円払うと、人は10,000円分の価値を求めます。それがあなたの取り組み姿勢という質を向上させます。しかし、それに慣れきってしまうと「10,000円払ったから10,000円分の効果を得た」という質を超えてしまう満足感が得られるようになってしまい、本来意味があった行為そのものが意味の無いものに変わってしまうという矛盾となってしまうのです。
また、その全てにおいて、時間という人間にとっては認識しづらい有限なモノが削られていきます。それが「本を読むな」という教えの最大の意味でもあります。
時間を無駄にするぐらいであれば最初から読まなければ良い、質が保証されていない、リスク(時間)に対してリターン(質)が見合っていなければ最初からリスクをとるなという教えでもあるのです。
「本を読む」ということは、そのリターンも含めて「質の高さ」が最も大事であり、そこには「時間」という有限で貴重なものが必ず関係しています。それを得るためには「お金」は手段に過ぎず、そこに対してウェイトを置いてしまうことは質の低下と時間の浪費を招いてしまいます。0円で高品質且つ有益な時間を体験できることもあれば、100万円支払って低品質且つ無駄な時間を与えられてしまうこともあるということです。
まとめ
今回は「物事の本質を理解する」ということをテーマに「本を読む」について考えていきました。
最後に簡単にまとめておきます。
本を読むことを目的にしない
リスクが怖いなら本は読まない
本の質には読み手が関係している
ざっくりとしたまとめになりましたが、是非自分自身の考えを当てはめて、どうするべきかを考えて見てください。
本を読むこと、読まないことどちらも正解です。しかしそれは正解なだけであって良し悪しを決めるのはあなた次第です。